この記事では私がジャイアンツファンになった理由を書かせて頂いております。
キッカケは10.8決戦
ジャイアンツファン歴は生まれてからずっとな36歳の♂です。
さて唐突ですが、この世に生まれてからずーっとジャイアンツを愛している私がファンになった理由を書いて行きます。
キッカケは10.8決戦での優勝決定試合を観てしまったからです。
当時は小学校2年生であり野球を観るといっても、投げた、打った、走った、点入った、勝った、負けたなど、
そーんな単純なことしか分からず、純粋に観戦しておりました。
しかし、あの試合の雰囲気はテレビ越しでも圧倒されるものでした。
子供心に、負けたら地獄・・・
そーんな感情が湧いておりました。
詳細な試合内容は調べて頂ければ分かりますので、割愛致します。
最後の試合で優勝が決まる、
そんな痺れるものを観てしまったら、
もはやジャイアンツ以外を応援できなくなりました。
ファン確定の1999年
1999年・・・私は中学校1年生になりました。
この年は結果的に3年連続でリーグ優勝を逃すことになります。
投手陣の軸として長く活躍され、三本柱と呼ばれていた斎藤雅樹さん、桑田真澄さん、槙原寛己さんが揃って不調や故障のため成績が上がらず。
今思えばですが、お三方とも年齢差が30代に入り、理想と現実との戦いになっていたのだろうと思います。
そんな投手陣に救世主が現れます。1998年秋にドラフト1位で入団した上原浩治さん。
開幕からローテーション入りし活躍。毎週日曜日に登板しチームの連敗阻止とファンが気持ちよく月曜日を迎えられるような圧巻の投球を披露してくれました。
チームは夏場までは首位を走る中日ドラゴンズを追走しましたが、8月のナゴヤドーム3連敗で勢いは消え、9月のナゴヤドームで高橋由伸さんが外野フェンスに激突し負傷離脱してしまい、優勝の望みが潰えました。
打者の個人成績では、松井秀喜さんが初の40本塁打の大台突破と高橋由伸さんが3割30本塁打達成。さらに仁志敏久さんが初のゴールデングラブ賞を獲得。
松井秀喜さんは本塁打王には届かずでしたが、大きな飛躍のシーズンになった印象です。
投手の個人成績では、上原浩治さんが20勝達成!新人王、最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振、最優秀投手、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞などのタイトル獲得と素晴らしいルーキーイヤーとなりました。
打者成績と投手成績をあげてみて、今この人たちがいたらとの思いに駆られてしまいます。
このシーズンの優勝を逃した悔しさと活躍する選手の凄さを見てジャイアンツファン確定の年になりました。
最後に
私の中に溢れるのは、ジャイアンツ愛。それにつきます。
今後もジャイアンツについて色々と思うところをあれやこれやと書いていきますので、興味が少しでも出てきたよーっという方は読みにきてください。
以上、宜しくお願い致します。
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